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書 評

ここでは、お勧めの本を紹介しています。

『水平の人―栗須七朗先生と私』

『こんなに凄いのか! 韓国の徴兵制』

『百万人の身世打鈴―朝鮮人強制連行・強制労働の「恨」』

『われ生きたり』

『孤独死ー被災地神戸で考える人間の復興』

『沿海州・サハリン 近い昔の話』


『水平の人ー栗須七郎先生と私』

  鄭承博著、みずのわ出版、2500円

 鄭承博氏の人となりを毎日新聞のコラム欄に書くため、私が淡路島の自宅を取材に訪れたのは昨年夏のことだった。
 鄭氏は一九二三年に韓国・慶尚北道で生まれた在日一世作家だった。四〇歳近くになってから自伝的小説を書き始め、七二年に「裸の捕虜」で農民文学賞を受賞、芥川賞候補にもあげられた。
 植民地時代の波乱に満ちた半生を語る鄭氏の語り口がひときわ熱を帯びたのは、栗須七郎の物語だった。
 「先生は私を人間にしてくれた人でした。だから先生のことを書くのは、わたしの一生の宿題なんです」という表情には、少年の頃のままのような生気があふれていた。
 今年の一月に電話で話をしたとき、「また遊びにおいでよ」と気さくに声をかけていただいたのだが、その一週間後に、突如心筋梗塞で急逝されるとは……。
 鄭氏のもとには、出版準備中だった「栗須七郎伝」の未完の遺稿が残されていた。その後、氏のおおらかな人間性に魅された人々の手によって刊行にいたったのが本書である。
 栗須七郎は一八八二年に和歌山県の被差別部落で生まれた。小学校代用教員を勤めていた頃、差別を受けたため辞職。日露戦争中には、多数の負傷者を野戦病院に運び込んだ軍功によって金鵄勲章を受けた。
 一九一五年、郷里の村役場で起こった差別事件に取り組んだのを機に、近畿地方における解放運動に本格的に身を投じていく。二二年に京都で全国水平社が結成されると、大阪・西浜部落を中心に、大阪水平社発足の原動力として活躍した。求道的で高潔な人格者として、人々から「水平の行者」と称された。
 戦後も和歌山の差別事件闘争を指導したり、「子どもの家」を設けて教育活動を推進したり、献身的な活動を続けたが、次第に主流派からはずれていったため、戦後の部落解放運動のなかでは等閑視されたまま、五〇年に生涯を閉じた。しかし和歌山の紀南地方では、のちに五基もの記念碑が建てられ、部落の人々にとっていかに大きな存在だったかをうかがわせる。
 鄭氏が栗須と出会ったのは三七年、日本が蘆溝橋事件を起こして日中戦争に突入した時代だった。
 その三年前、わずか九歳だった鄭氏は勉強したい一心で単身日本に渡ってきたのだが、和歌山で飯場の飯炊きをしたのち、農家に売り飛ばされてしまった。つらい農作業に疲れきった体を寺で休ませていたとき、見知らぬ紳士から「お前は子どものくせに、仕事ばっかりしていたのでは人間にならんぞ」と怒鳴りつけられた。それが栗須との運命的な出会いだった。
 寺の人が事情を話すと、栗須は「苦学の仕方を教えてやるから、逃げてこい」といって名刺を差し出した。
 鄭氏は農家から夜逃げし、大阪・西浜にあった栗須の事務所兼自宅、「水平道舎」を訪ねた。そこには近所の朝鮮人の子ども四、五人が毎日集まってきて、勉強したり、栗須の講義を聞いたりしていた。鄭氏は家族同様に寄宿しながら、初めて学校に通うことができたのだった。
 本書に書かれているのは、多感な青少年期の鄭氏の目に映った栗須の人間像である。子どもだった鄭氏には、部落差別はおろか、自分が受けていた朝鮮人差別の本質も理解することができなかった。しかし水平道舎の書生として生活する過程で、人間として、朝鮮人としてのアイデンティティに目覚めていったのである。
 本書には、絶筆となった「栗須七郎伝」のほか、詩や短編小説、沖縄の彫刻家・金城実との対談も収録されている。その対談のなかで、鄭氏はこう語っている。
 「『水平道舎』では、先生も家族も、われわれ朝鮮人の書生もみんな一緒に食事をするんですが、おかずもみな同じやった。日本の中国侵略が泥沼化して、『紀元二千六百年』といって、日米戦争を始める前夜だから、あの時代の世相として、朝鮮人は偏見と弾圧にあえいでいましたが、栗須先生は『水平社精神』を文字通り実行し、朝鮮人を平等な人間として遇してくださったんです」
 後年、鄭氏が残した多くの作品群には、客観的に見れば、「亡国の民」がたどった想像を絶するほどに苛酷な体験が描かれている。が同時に、鄭氏が出会った人々との触れ合いが書き込まれているため、むしろ全体としては、郷愁に似た印象が感じられ、ときにはユーモアさえおぼえる。それは、いかなる状況であろうと、国籍や民族が異なろうと、人間の尊厳、人間同士の信頼を守ってゆずらなかった栗須の精神が鄭承博文学に色濃く継承されているからなのだろう。
 そう思えば思うほど、鄭氏による栗須七郎伝が未完に終わったことが惜しまれてならないが、いまはただ、希有な在日朝鮮人作家だった鄭氏のご冥福を祈るばかりである。
(2001年8月、「図書新聞」掲載)


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『こんなに凄いのか! 韓国の徴兵制』

  康熙奉著、スリーエーネットワーク、1500円

 韓国の青年男子には、避けて通れぬ忌まわしい関門がある。徴兵制である。18歳になれば検査を受け、30歳までに兵役を終えなければならない。期間は陸・海軍で26カ月、空軍で30カ月におよぶ。
 徴兵制は国家的な負担であるにもかかわらず、これまで論議の俎上に載ることはほとんどなかった。そのタブーに、在日韓国人の著者が果敢に取り組んだ点において、本書は希有のルポということができる。
 内容は、一九八二年に入隊したヨンスの体験を縦軸に展開していく。一読して慄然とするのは、訓練の過酷さである。まず四週間、新兵訓練所で整列方法や手榴弾、銃の撃ち方がたたき込まれる。密室に閉じこめられ、毒ガスに耐えるという「地獄の苦しみ」まで強いられる。
 ヨンスの場合、光州砲兵学校でさらに六週間の訓練を受けた後、軍事境界線近くの鉄原郡に配属された。二四時間臨戦態勢を保つため、夜間も交替で警戒勤務につく。厳寒期に行われる冬季訓練のすさまじさ。
 訓練もさることながら、彼らを無情に傷つけるのは、訳もなく繰り返される「キハップ(気合)」、すなわち殴る、蹴るの体罰である。一九四六年に韓国軍が創設されたとき、戦時中に親日派軍人としてのさばった面々が復権して軍の中枢を牛耳った。そのため旧日本軍の暴力的手法だった「気合」が引き継がれたのだった。
 心身共にずたずたに引き裂かれた若者たちの中には、精神異常や自殺にまで追い込まれる者も少なくない。
 それでも兵役を終えた人々に問うたところ、徴兵制は必要だと答えた者が七割を占めたという。だが、男は軍隊に行ってこそ初めて一人前になる、という考え方に対し、著者は徴兵制の持つ根元的なアイロニーを指摘する。
 「仮想敵国は北朝鮮だが、果たして同じ民族を本当に不倶戴天の敵と見なすことができるのか。・・・韓国が必死になって徴兵制を守ろうとしているのは、民族のためではなく体制の維持のためということになる。そこにどれほどの価値を見いだせるのか」
 本書のテーマは重いが、登場人物たちのユニークなキャラクターにより、そこはかとないユーモアと感動がにじみ出る。そして随所に、在日の眼から見た韓日関係に対する提言が見られる。著者が日本人に伝えたかった主旨は、次の一言に集約されるのだろう。
 「第二次世界大戦の敗戦国である日本は国家分断をまぬがれ、朝鮮戦争による特需景気で経済を復興させた。・・・その幸運を忘れずにいるのなら、どうか東アジア全体の平和と安定のために尽力してほしい」
 六月に歴史的な南北首脳会談が実現して以後、南・北・日を巡る状況は急進展しつつある。いま、日本は何をなすべきか、戦争を知らない世代にこそ考えてほしいものである。
(2000年12月8日、「週刊読書人」掲載)

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『百萬人の身世打鈴ーー朝鮮人強制連行・強制労働の「恨」』

  「百萬人の身世打鈴」編集委員会編、東方出版、5800円



百九名の恨の記録
 映画監督の前田憲二氏が仲間うちの会合で、突然「朝鮮人強制連行の証言集をつくろう」と提案したのは一九九三年夏のことだった。
 前田氏は「神々の履歴書」をはじめ、古代朝鮮から日本に伝えられた渡来文化をテーマにした三本の長編記録映画を撮り反響を呼んだ。古来、連綿とつづいてきた日・朝の交流史に照明をあてた前田氏が、明治以降、急速に歪められた負の歴史に取り組む決意をしたのは、一日本人映像作家としての良心を賭けた必然的な帰着点といえるだろう。
 だが、突如難題を突きつけられた仲間たちは「途轍もない無謀な計画だと、呆れ返った」(あとがき)という。それでも計画に引きずり込まれていった決定的な要因は、「このチャンスを逃したら在日一世の方々の貴重な証言を採れなくなるという危機感」だった。
 製作委員会には学者、ジャーナリスト、市民運動家など二十余名が加わった。その過半数は日本人だった。
 取材活動ははたして、予期以上の困難に遭遇し、破綻の危機に直面したこともあった。しかし彼らは身体を張って歴史と対面すべく、日本のみならず、韓国にも四度足を伸ばして取材活動を繰り広げた。そして実に七年の歳月をかけ、百九名の証言を記録した大著を完成させたのである。
 表題の「身世打鈴」{ルビー「シンセタリョン」}とは、つれづれに自分の不遇な身の上を物語ることをいう。一方、副題にある「恨」{ルビー「ハン」}とは、個人的な「恨み」の次元を超えた、歴史的に蓄積された民族の怨念ともいうべき朝鮮民族特有の感情である。すなわち本書は、日本帝国主義によって亡国の民となった朝鮮民族全体の恨を生の声で収録した集大成なのである。

歴史の激流に翻弄された人々
 本書は全四章、十節で構成され、各節ごとに証言の時代背景を詳細に解説している。
 日本は明治維新以後、「征韓」を外交政策の重要課題に位置づけた。日清・日露戦争の勝利によって列強諸国に朝鮮の独占的な支配権を認めさせた日本は、一九一〇年に「韓国併合」を敢行し、以後三六年間、政治・経済・文化のあらゆる面にわたって過酷な植民地統治を強化した。
 土地調査事業によって土地を奪い、朝鮮教育令によって朝鮮人の皇国臣民化政策を推進した。三九年には世界に類例のない創氏改名を強要し、名前まで日本名に変えさせた。生きるすべを失った人々は続々と日本に渡航せざるを得なかった。
 日本は拡大する戦火に対応するため、三八年の国家総動員法の公布を機に、朝鮮人に対する本格的な強制連行を開始した。朝鮮人は日本各地の炭坑、鉱山、ダム、トンネルなどの工事現場に動員され、牛馬のごとく強制労働を強いられた。
 彼らは劣悪な環境で、満足な食事も与えられず、長時間の重労働に従事させられた。 「仕事は穴を掘ることですが、その土を外へ運び出すのがわれわれの主な仕事でした。穴をクルクル掘る仕事はつらいものでした。・・・仕事は休みなしです。一日、昼と夜、当番を決めて十二時間ぶっ続けで働きました」(姜永漢)
 危険な作業のために死者や負傷者が続出した。
 「壕を掘る工事は毎日のように爆破する発破をあちこちでやっていました。その発破で朝鮮人たちも数多く死にました。工事では一日平均六、七名が死んだですね」(金錫智)
逃亡をはかって失敗すれば、すさまじいリンチが加えられた。
 「わたしはコンクリートの上に殴り倒され、四人がかりで一昼夜にわたって足蹴にされたり、棍棒で殴られたりして、血まみれになって失神してしまいました」(呉銀燮)
 また三八年に「陸軍特別志願兵令」が公布されて以後、朝鮮人は兵士、軍属、軍夫としてアジア各地に送り込まれ多数が犠牲となった。
 「(ニューギニアで)後退に後退を続けているとき、食べ物が何もなかったから草など食べて毒にあたって死んだり、マラリアで死んだりして、一、七〇〇人いた朝鮮人が日本に帰ってきたときには六十三名になってしまった」(黄皓奎)
 労務動員されたのは男だけではなかった。十代の少女たちも「半島女子勤労挺身隊」として各地に連行された。なかでも最も悲惨な運命をたどったのは「従軍慰安婦」だった。
 「この傷は第六師団の荒っぽい兵隊に、おれが『嫌いだ』と言ったので、その兵隊が怒ってナイフを振りかざしたんだ。・・・一日に十人ぐらいの日もあれば、七十人来たこともある。そんなときは、ベッドの上に寝たままだったね」(宋神道)
 その他、広島・長崎での被爆者、BC級「戦犯」、ハンセン氏病患者など、歴史の激流に翻弄された人々の体験が生々しく描き出されていく。
 長年何の償いもなく放置された人々は、一九九〇年代に入って次々と戦後補償訴訟に立ち上がった。特に元「従軍慰安婦」の訴訟は世界的な反響を呼び、国連人権小委員会では日本政府の法的責任が厳しく追及された。
 すべての被害者の思いは、軍属だった父をなくした鄭賛教氏の陳述に代弁されている。
 「武力で他の国を踏みにじった国が経済大国と呼ばれても、過去の罪を償うまで呪われ続けることでしょう。理不尽に死んでいったわが父の霊魂の上げる悲鳴が、皆さんの耳に聞こえないでしょうか。わたしたちが皆さん日本人の言葉に耳を傾けたいと思います」
 しかし日本政府はいまなお補償を拒んでおり、数十件におよぶ戦後補償裁判もまたことごとく原告側の要求を退けているのが実情である。

喜怒哀楽に満ちた真実のドラマ
 証言を読みながら胸が痛むのは、少なからぬ人々がすでに故人となっている事実である。戦後半世紀以上が過ぎ去るなかで、歴史の証人たちは恨を解くこともできないまま次々と世を去っていく。
 まことに無念なことではあるが、日本政府や当該企業が調査も資料公開も拒んでいる状況下では、もはや全面的な証言収集活動は不可能ではないかと思われる。それゆえ私は、本書を広範な人々に読んでいただきたいと思うと同時に、日本のすべての図書館、公共団体等は必ず本書を保存すべきだと訴えずにはいられない。
私は以前、朝鮮人強制連行真相調査団の一員として、強制連行の爪跡の調査や証言収集を行ったことがある。証言者のなかには、心身深く刻み込まれた古傷がうずくかのように、涙ながらに体験を語る人もいれば、過ぎ去った青春時代を懐かしむかのように淡々と物語っていく人もいた。
 本書のなかでも、戦慄をおぼえる体験談がある一方で、心温まる人情話やユーモアさえ感じるエピソードもある。とりわけ逆境にめげずにたくましく生きるオモニ(母親)たちの姿には思わず笑いがこぼれることもあった。
 一読して強い衝撃とともに、深い感動をおぼえるのは、激動の時代を必死に生き抜いてきた人々の喜怒哀楽に満ちた真実のドラマが再現されているからなのだろう。
 最後に、出版界全体が不況に見舞われているおり、重いテーマの大著を破格の低価格で刊行した東方出版に対し心から敬意を表したいと思う。
(2000年1月29日、「図書新聞」掲載)

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『われ生きたり』

   金嬉老著、新潮社、1500円

 一九六八年二月、静岡県清水市においてヤクザ二人がライフル銃で射殺された。犯人は在日朝鮮人金嬉老(40)。金は車で寸又峡に逃亡。旅館ふじみ屋に押し入り、宿泊者ら十三人を人質にして立てこもった。
 警官隊とマスコミが殺到し、現地の模様は刻々と実況中継された。そして金の犯罪の動機が報道されるにつれて、事件は非難と同情が交錯する犯罪史上稀に見る劇場犯罪の様相を呈していったのである。
 金の主張は、「小泉(清水警察の刑事)の差別発言、すなわち日本人による朝鮮人差別を満天下に訴えて、俺は死ぬ。そして、その道連れに、曽我(ヤクザ)を殺す」というもんだった。
 金は一九二八年に清水市で生まれた。朝鮮が日本の植民地だった当時、朝鮮人はみな極度の民族差別と貧困にあえいでいたが、金は五歳のときに父を亡くしたため、一層惨めな境遇に見舞われる。
 小学生のとき、級友と教師から差別を受け学校を放棄。丁稚奉公を経て放浪生活が始まった頃、無実の罪で警察に連行され拷問を受ける。以後、少年院と刑務所暮らしを繰り返した歳月。事件の直前に書かれた”遺書”には、「此の俺は、明日に何んの夢も希望もない。絶望感が俺を支配している今、唯、死場所を選んでいる放浪者に等しい心境」とある。
 金の犯罪が決して正当化されるわけではないが、彼の苦悩が多くの在日朝鮮人の胸をうずかせたのは事実である。なぜなら就職差別をはじめとして、日本社会には朝鮮人に対する排外意識が蔓延していた。のみならず、朝鮮人をあらゆる社会保障から排除するなど、国家政策としての法的差別制度がまかり通っていたからである。
 金は籠城四日目に逮捕された。裁判で金は事件の根幹に民族差別があると主張したが、検察側は民族問題を回避しようとした。検察や警察が故意に真相を歪め、自らの不祥事をひた隠しにしようとするさまは、昨今の神奈川県警の醜態と重なり合って見える。
 最終的に金は無期懲役刑を宣告される。それから異例の三十二年間も獄中生活を強いられた末、昨年九月にようやく仮釈放された。但し、韓国に送還するという条件付きで。
 あとがきで金は、初めて祖国の土を踏んだときに感じたのは「今迄、日本の中で自分のして来た事の虚しさでした」と書いている。もし自国で生まれ育っておれば体験しなくてすんだことのために人生の大半を浪費した虚しさは、茫然とするほどにはかない。
 一九八一年に日本で難民条約が発効して以後、在日外国人に対する法的差別は相当改善された。しかしいまなお民族差別は根強く残っており、「ニューカマー」と呼ばれる外国人に対する新たな差別も吹き出しつつある。
 とすれば、三十余年前に金が命がけで戦った事件の真相を振り返るのは、まさしく今日的なテーマだといえるだろう。
(2000年1月28日、「週刊読書人」掲載)

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『孤独死ー被災地神戸で考える人間の復興』

  額田勲著、岩波書店、1900円 

 一九九五年一月一七日、兵庫県を襲った阪神・淡路大震災は未曾有の惨禍をもたらした。犠牲者は直接死、関連死を合わせて六三三〇人。その中には「孤独死」と呼ばれた二三一人の人々も含まれている。
 震災発生から四年。当時、全国を震撼させた報道はすっかり影をひそめ、人々の記憶も薄れた。被災地を訪れてみても、市街地では震災の爪痕を見いだせないほど復興が進んだ。それにともない、むしろ一層厳しい状態に追いやられていく被災者の姿は見えにくくなるばかりである。
 著者は神戸にあるみどり病院の院長であるとともに、脳死・臓器移植問題をはじめ、現代医療の視点から生と死をめぐる問題を問う数々の著書を執筆している。そうした経歴の持ち主ならではの視点から見つめた生々しい実態が浮き彫りにされている。
 著者は震災発生直後、「瓦礫の下敷きになった受難者は、圧倒的に社会的弱者と考えられる人びとであった。・・・死の不平等を目撃させられたことは強烈な衝撃であった」という体験から、病院の職員たちに呼びかけ、仮設住宅の一角にプレハブ造りの「クリニック希望」を設立した。そして約一〇名のスタッフとともに医療活動に携わると同時に、被災者の実相を社会学的に検証していく。
 仮設住宅の被災者を対象に聞き取り調査を行う過程で、倒壊した家屋の八〇%が築二五年以上、借家の被災者の七六%が家賃二万五〇〇〇円〜三万円、生活保護世帯の死者は一般市民の約五倍といった驚くべき事実が明らかになっていく。
 本書には、孤独死にいたったさまざまな人間模様が描き出される。アルコール依存症、慢性疾患、痴呆症、身体障害などで苦しんだ人々、さらには凄惨な焼身自殺などの方法によって自死を遂げた人々・・・。彼らに共通しているのは、将来のことを考えれば考えるほど絶望感にとらわれていたことである。
 著者は、孤独死にいたった人々の出身地まで足を運び、生まれ育った環境を調査した。その過程で、現代社会の病理のもとでは、限りなく孤独死に近い人々が各地で増加していることを知る。推定によれば、孤独死や独居死の件数は毎年二万数千人から三万人に達するという。こうした実体験にもとづき、孤独死は、決して被災地での特異な現象ではなく、近年、全国で日常的に発生している低所得層の死と共通性があると指摘するのである。
 本書の読者には、公務員から報道関係者、一般市民まで各界各層の人々がいるだろうが、著者が最後に記した訴えにそれぞれの立場から心して耳を傾けなければなるまい。
 「社会の質を映すといわれる弱者の現状を見つめなおし、本質的な人間の復興、真の共生への道を探ること、それこそが阪神・淡路大震災から学ぶ最大の教訓ではないだろうか。阪神・淡路大震災は終わっていない。いや終わらせてはならない」

(1999年7月23日、「週刊読書人」掲載)

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『沿海州・サハリン 近い昔の話』

   アナートリー・T・クージン著、岡奈津子・田中水絵訳。凱風社。3500円

 歴史は、人間の手によって照明を当てられなければ、事実そのものが存在しなかったことになる恐れがある。
 旧ソ連には現在、四五万人もの朝鮮民族が居住している。彼らはなにゆえ遠い異国の地に渡り、いかなる歳月を生き抜いてきたのか。その謎は長年厚いベールに包まれ、一九九一年の旧ソ連崩壊を機にようやくその全貌を表しはじめた。
 本書の原著者は一〇年間サハリン州党委員会書記をつとめた研究者である。彼は「この本の使命は、極東の朝鮮人の過去の真実を再現し、この問題に関心のある人々に伝えることです」(「日本の読者のみなさんへ」より)という思いのもとに、「少し前までは触れることもできなかった秘密扱いのわが国の公文書」をもとに本書を執筆した。
 第一部ではロシア極東、第二部ではサハリンに生きる朝鮮人の歴史が描かれている。一読すれば、世界でも最も過酷な運命を背負ってきた少数民族の一つといっても過言ではない人々の苦難に満ちた足跡が浮かび上がってくる。
 朝鮮半島の北方に位置する沿海州は、もともと未開の無国籍地帯であったため、一九世紀中葉から朝鮮人農民の移住が始まっていたが、一挙に激増しだすのは、一九一〇年の「韓国併合」以後のことである。日本によって国を奪われた人々は、生きる糧を求めて続々と国境を越えていった。ウラジオストクを中心とする極東地域にたどり着いた流民の数は二〇万人に達した。
 ロシア人の小作人となった彼らは、驚異的な忍耐力で大地を開拓し、豊かな農業をもたらした。また多数の独立運動家は激しい抗日闘争を繰り広げるとともに、ロシア革命の成就にも多大な貢献を果たした。そのためレーニン時代には極東一帯に多数の朝鮮人村が生じ、三〇〇余の朝鮮人学校をはじめ、新聞社や劇場などを持つ民族的なコミュニティが形成されていった。
 しかし一九三七年に突如悪夢が襲いかかった。スターリンが沿海州に住む朝鮮人に対し、中央アジアへの強制移住を命じたのである。その理由は、極東侵略を狙う日本軍のスパイになる恐れがあるというものだった。
 一八万人の朝鮮人がシベリア鉄道でウズベキスタンやカザフスタンへ運ばれた。広大な砂漠地帯に放り出された人々は、迫りくる厳寒と飢えのために次々と倒れていった。こうして朝鮮人は極限の地で、生死を賭けた苦渋の日々を強いられたのである。
 本書では詳述されていないが、その後、朝鮮人は信じがたい生命力で未開地に立ち向かい、やがて集団農場における指導的な地位を確立していく。しかし厳しい少数民族抑圧政策のもとで、民族の言語や文化はほぼ完璧に抹殺されてしまったのである。
 一方、サハリンの朝鮮人は大陸側の人々と異なり、むしろ在日朝鮮人と酷似した運命をたどってきた。彼らは日帝植民地時代に強制連行・徴用によってサハリンに渡り、炭坑や土木現場などで過酷な労働を強いられた。しかも一九四五年に日本の敗戦を迎えたのち、日本人は翌年から祖国への帰還が開始されたにもかかわらず、朝鮮人は帰国の道が閉ざされてしまったのである。
 在サハリン朝鮮人の帰還問題は、ソ・朝・韓・日の思惑がからんだ複雑な経緯をたどり、一九九〇年代に入ってようやく韓国への一時帰国や永久帰国が実現されるようになったが、いまなお離散家族問題は深刻な課題として残されている。
 在旧ソ朝鮮人の運命は、まさに一九世紀から二〇世紀に至る歴史の激流によって翻弄されてきた。しかも過去だけでなく、現在もなお混沌とした政情の渦に巻き込まれているだけに、一層痛ましいといわざるをえない。
 訳者の一人、田中水絵氏はあとがきで、「数多くの公文書は一つの重い課題をつきつけてくる。それは、サハリンの朝鮮人の運命の背後に、常に『日本』があったことである」と記している。サハリン側であれ、大陸側であれ、在旧ソ朝鮮民族の悲劇の根源には日本が存在した。にもかかわらず、彼らの歴史が日本史から見事に抜け落ちているのを黙過することはできない。
 個人的な話だが、私は昨年、『カレイスキー・旧ソ連の高麗人』(東方出版刊)という本を出版した。これは韓国の作家、鄭棟柱が三年間にわたって在旧ソ朝鮮民族の歴史と現状を取材して著した書を抄訳したものである。本書が公文書にもとづく記録であるのに対し、『カレイスキー』は生き証人たちの証言にもとづくルポである点に特徴がある。
 朝鮮と旧ソ連、日本を結ぶ歴史の秘話を知るため、またひいては、いま全世界で噴出している民族問題の本質を考察するためにも、この両書をぜひ読んでいただきたいものである。
(1999年2月13日、図書新聞掲載)

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